マチュピチュの場所や国!誰が作ったかや日本版の天空の茶畑の行き方は?

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世界遺産として有名なマチュピチュですが、どこにあるかご存じでしょうか。

名前が先行している反面、場所となるとすぐには答えられませんよね。

 

そんなマチュピチュがそびえ立つ国は、南米のペルーです。

ペルーと聞いても位置関係がピンとこないかもですが、ブラジルやコロンビア、エクアドルなどと隣り合わせになっている地域です。

世界でもっとも長い山脈として有名な、あのアンデス山脈が連なる場所でもあります。

 

マチュピチュは、そのアンデス山脈に属するウルバンバ谷に沿った、山の山頂に作られています。

ちなみに、ここは標高が約2,450mありまして、とてもじゃないですが下から見ることは不可能。

なので「空中都市」と呼ばれているんですね。

 

さて、そこで浮かぶ疑問…。

なぜこの場所にマチュピチュが存在するのか、そもそもマチュピチュとはいつ建設されたどんな建物なのか…。

そんな数多の答えはペルーの歴史に深く関係しているんです!

 

 

マチュピチュの誕生やなぜ滅んだかの歴史!いつできたかって知ってる?

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冒頭でお話ししたアンデス山脈ですが、この山脈は南アメリカ大陸を縦断していて、中央アンデスと言われるひときわ大きな地帯が存在しています。

 

この中央アンデスを中心にペルーではいくつもの文化が繁栄していきます。

その後、文明が栄えては滅びを繰り返し、15世紀に入るとインカ帝国という様々な文化の集大成といっても、過言でない国が誕生します。

 

なんと最盛期には2000万人近くの人口を持つ大帝国へと育ちました。

特にインカの都であるクスコは、南アメリカ最大の都市として成長を遂げていき、石積みの精密な宮殿や神殿が数多く作られました。

 

そして、この時期の1450年頃(15世紀)に、マチュピチュが建設されたのではという説が濃厚といわれています。

しかし、建設後の16世紀のはじめには大航海時代に突入し、スペイン人がアンデスの地に足を踏み入れ、スペインの植民地と化してインカ帝国は滅んでいきました。

そのインカ帝国が滅んだ遺跡の一つがマチュピチュとなっています。

 

そして、その個性的な名前なのですが、マチュピチュとはケチェア語で、「老いた高い山」を意味するそうです。

この老いた高い山ですが、実はある勘違いから付けられた名前でして…。

 

マチュピチュは1911年にアメリカの歴史家の探検により発見されました。

その米国人歴史家がマチュピチュの向かい側の山に立ち、そこにいた先住民の方に「あの遺跡の名前は?」と尋ねたそうですが、今立っている山の名前を聞かれたと思った先住民が、ケチェア語で「マチュピチュ」と答え、それを勘違いしたのがマチュピチュの名前の始まりという、なんともおっちょこちょいなお話があります。

 

そんなペルーの歴史をひも解いていくと、マチュピチュが建設されたのは15世紀の100年の間でもっとも文化が栄えていた時期であり、その時の遺跡である。

さらに、発見されたのは400年以上後のことだったとわかりました。

 

その月日を経ても変わらず残り続ける理由には、その高い建設技術と高所に作られたことにより、人が発見できず触れることがなかったという部分も挙げられますね。

 

 

マチュピチュは誰が何の為に作ったのか?こんな説が有力!

そんな謎多き古代遺跡マチュピチュですが、一体だれが何のためにこの建造物を作ったんでしょうか。

 

実は、この誰が作った建造物なのかというのも確実なものはなく、インカ帝国の大きな力を持っていた皇帝により、建設されたというのが憶測としては有力であるとされています。

そして、どんな目的で作られたのかも不明なのだそうです。

さすが謎に包まれた天空都市…!

 

しかし、建設理由については何パターンかの説が持ち上がっているそうです。

 

その一つがインカ帝国の宗教にあります。

インカの人々は太陽を熱心に崇拝していたそうで、宗教的にも太陽に近く、太陽観測するにも適していた、山の山頂が選ばれ建設したのではという推測がたてられています。

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その他にも、インカの人々がスペイン人の侵略から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るための場所として作られたという闇深い説も存在するのだとか。

 

そんなさまざまな推測がされていますが、宗教的理由で建設されたというのが現在は濃厚であるとされています。

 

 

密かに人気な日本のマチュピチュのおすすめ!「天空の茶畑」の行き方!

本場のマチュピチュを見てみたいけど、こんなご時世だしなかなか足が向かない…。という方の為に朗報です!

なんと日本にもマチュピチュが存在するんです。

 

実は、日本のマチュピチュと呼ばれる名所は各地にあります。

兵庫県朝来市にある「竹田城跡」や、岡山県高梁市にある「備中松山城」、福井県大野市にある「越前大野城」などさまざまなマチュピチュが存在しますが、今回はその中でも「天空の茶畑」という呼び名で知られている、絶景スポットに焦点を当ててご紹介していきます!

 

そこは日本の中部地方に位置する県である、岐阜県の揖斐郡揖斐川町。

この町の上ケ流地区という場所にマチュピチュが広がっているのだとか!

 

まず上ケ流地区という場所の歴史について説明しますと、昔は養蚕が盛んで桑の木の畑を育てていましたが、時代の変化により生糸から化学繊維に変わり、養蚕は廃れていきました。

そのあとに出てきたのがお茶の葉です。

当時はお茶の葉がかなり高く売れていたので、それを利用して桑の木のあった畑一面をお茶畑にしたそうです。

 

そんな、上ケ流地区には標高300メートルほどの山の中腹から山頂にかけて、一帯に広がる茶畑があります。

それこそが、日本のマチュピチュと呼ばれる「天空の茶畑」なのです。

ちなみに、この場所で栽培されている希少価値の高い「古来茶」は、「天空の古来茶」としてブランド化され販売されています。

 

さあ、そんな日本のマチュピチュの絶景を見に行くべく、山頂までのルートを簡単にご説明させていただきます。

 

▼天空の茶畑への車での行き方
車で向かう場合が殆どだと思いますので、カーナビなどで検索し向かいましょう。
郵便番号のみの検索でも付近までは辿りつけるそうです。

付近まで行ければ分かりやすく看板が建っているので、その看板に従って進んでいきます。

すると駐車場までの案内係の方がいるので、その誘導に従い駐車場に到着。
この駐車場ですが、第一駐車場で10台ほど、吉田茶園前駐車場で4台ほどしか停められませんので、
人が混みそうな長期休みなどに行く際は注意が必要です。

その駐車場から徒歩で20分、茶畑を見渡せる絶景ポイントのお目見えです。
この20分程度の遊歩道ですが、一部が登山道のような歩きにくい斜面になる場所もあるので、
運動靴やトレッキングシューズなど歩きやすい靴で挑戦してくださいね。

 

頂上から帰ってくる際にサービスとして、茶畑で取れたお茶をふるまってくれるときもあるそうなので、出くわしたら是非とも上ケ流の茶葉を堪能してみてください。

さらに、この天空の茶畑の周辺には薬草風呂が楽しめる場所や、お城の中でプラネタリウム鑑賞が出来るところなど、さまざまな観光地があり見どころ満載です。

 

※新型コロナウイルスの影響により、2020年10月初旬時点は、

 遊歩道が閉鎖しているそうなので、再開は公式ページをチェックして下さいね。

 

 

まとめ

まだまだ謎の多く残るマチュピチュという古代遺跡。

ですがまたそのミステリアスさがロマンに繋がりますよね。

歴史を辿った上で、実物をみると、また違った面白さに出会える素敵さもあります。

 

そして日本のマチュピチュと呼ばれる天空の茶畑も、ぜひ晴れた日に行ってみたいです。

きっと上から眺める景色は、日本ならではの風情を残した一味違うマチュピチュを味わうことができるんでしょうね。

 

是非とも魅力あふれる二つのマチュピチュ、どちらも堪能してみて下さいませ!

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