あなたはテレビで甲子園、見ているでしょうか?
甲子園球児たちの熱い戦いを見ていると、ついついテレビにくぎ付けになってしまいますよね。
勝利をおさめた高校はもちろん素晴らしいのですが、私はどうも負けてしまった生徒たちに感情移入してしまいます。
「きっと今まで辛い練習に耐えて、一生懸命ここまでやってきたんだろうなぁ…」
と思うと、心からお疲れ様でしたと伝えたくなります。
ところで、試合に負けた選手たちが甲子園の砂を集めている場面をよくテレビで見かけます。
甲子園の砂を持ち帰るのには、何か理由があるのでしょうか?
大きな理由の1つが、「甲子園に出場した記念のため」です。
詳しく解説していきましょう。
色んな気持ちがある!甲子園で負けた選手が砂を持ち帰るのはなぜ?
甲子園で選手たちが砂を持ち帰る理由、それは甲子園に立てた記念になるからです。
甲子園は高校球児たちの憧れ、この甲子園に立つためにみんな必死に練習をしています。
出場校は各都道府県から基本的に1校ずつ(北海道、東京は2校)のみ。
狭き門をくぐりぬけ、まさに選ばれた選手だけが甲子園のグラウンドに立てるのです。
そんな憧れの甲子園の土を持ち帰れば、一生の思い出になりますよね。
何となく負けた選手が泣きながら砂をかき集めているイメージがありますが、負けたから砂を持ち帰るのではありません。
目標だった甲子園に立てた記念として、グラウンドの砂を持ち帰っているんです。
他にも、
- 負けた悔しさを忘れないため
- 一緒に頑張った部員のため
- 母校のグラウンドにまくため
- 来年またここに戻ってくるぞ、という気持ちを思い出すため
などなど、選手は様々な想いを持ちながら砂を持ち帰っているようですね。
甲子園の土っていつから持ち帰るようになった?沖縄代表がはじまり?
甲子園の土を持ち帰るという文化は、いつから始まったのでしょうか?
実はこの文化の始まりには諸説あるようです。
1番有力なのが1937年の甲子園、熊本代表だった川上哲司さんのエピソードです。
川上さんは決勝戦で惜しくも敗れてしまい、甲子園の砂をユニフォームのポケットに入れて持ち帰ったそうです。
ただ川上さんは「最初に土を持ち帰ったのは自分ではない」と話していたようです。
公にはなっていないだけで、砂を持ち帰っていた選手はもしかするともっと昔からいたのかもしれませんね。
一方で甲子園の砂を持ち帰る文化が日本に広く知れ渡ったのは、1958年沖縄代表の首里高校が発端ではないかと言われています。
当時沖縄はアメリカの統治下にあり、日本と行き来するためにはパスポートが必要でした。
つまり沖縄は、外国だったんです。
首里高校は健闘しましたが1回戦で敗退、生徒たちは日本の甲子園で戦ったという証としてグラウンドの砂を持ち帰りました。
ところが入国審査で問題が発生します。
甲子園の土は外国の土とみなされ、植物検疫法により没収されて海に捨てられてしまったんです。
この事件は日本の新聞で大きく取り上げられました。
非常に多くの反響があり、首里高校には甲子園の小石や甲子園の土で作った焼き物が届けられたそうです。
首里高校のエピソードが日本に広まったことで、甲子園の土を持ち帰るという文化が日本中に広まったんですね。
まとめ
私は学生の頃高校野球が大好きで、毎年春と夏はテレビにかじりついていました。
春は砂を集めるシーンがあまりないなぁと思っていたのですが、夏の甲子園に絶対戻ってくるぞ!という強い想いから、砂を持ち帰る選手が春の甲子園では夏よりも少ないんだそうです。
他にも1年生や2年生は来年また甲子園に戻ってこようという意気込みがあるので、あえて砂を持ち帰らないともいいます。
「必ず甲子園のマウンドにまた立とう」という強い信念が見えますよね。
甲子園で懸命に戦っている選手を見ると、自分も頑張ろうという気持ちになります。
あなたも今年はぜひ高校野球を応援して、熱い夏を過ごして下さいね!